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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)7798号 判決 1988年4月25日

原告 甲野太郎

<ほか一名>

右訴訟代理人弁護士 北村忠彦

同 中村隆次

右訴訟復代理人弁護士 佐竹修三

同 岡田隆志

被告 乙山松夫

右訴訟代理人弁護士 野口善國

同 柴田五郎

同 坂本福子

同 原希世巳

主文

一  原告らの主位的請求を棄却する。

二  被告は、原告らに対し、原告らが被告に一〇〇〇万円を支払うのと引換えに、別紙物件目録記載の建物を明渡せ。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1(一)  (主位的請求)

被告は、原告らに対し、別紙物件目録記載の建物を明渡し、かつ、昭和六一年五月二七日から右明渡済みまで、一か月あたり三九万三七八一円の割合による金員を支払え。

(二) (予備的請求)

主文二項と同旨。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  主位的請求原因

1  原告らは、昭和三七年一月一二日、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有者である訴外高橋薫から買い受けた。

2  被告は、遅くとも昭和三七年一月以降、本件建物を占有している。

3  本件建物の一か月あたりの相当賃料額は、三九万三七八一円である。

4  よって、原告らは、被告に対し、本件建物の所有権に基づき、本件建物の明渡を求めるとともに、不法行為による損害賠償請求権に基づき、占有開始時のあとである昭和六一年五月二七日から右明渡済みまで一か月三九万三七八一円の割合による損害金の支払を求める。

二  予備的請求原因

1  仮に、被告が、本件建物の賃借権を援用してこれを正当に占有する権限が認められるとしても後記七2のとおり、原告らは、昭和五九年七月頃、賃借人に対し、本件賃貸借契約の解約申入をなし、さらに本件口頭弁論期日において被告に対し立退料一〇〇〇万円の支払を約することによって正当事由を補完した。

したがって、右解約申入後六か月の経過により本件賃貸借契約は終了した。

2  よって、原告らは、被告に対し、本件賃貸借契約の終了による原状回復請求権に基づき、原告らが被告に対し一〇〇〇万円を支払うのと引換えに、本件建物の明渡を求める。

三  主位的請求原因に対する答弁

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。被告は、昭和二三年二月頃から本件建物を占有している。

3  同3の事実は否認する。

4  同4の主張は争う。

四  予備的請求原因に対する認否

1  予備的請求原因事実1の事実は認めるが、その後段の主張は争う。

2  同2の主張は争う。

五  抗弁

1  賃借権の援用

(一) 訴外丁原梅夫(以下「訴外梅夫」という。)は、昭和九年頃、訴外八尾せいから、本件建物を期間の定めなく賃借してその引渡を受けた。訴外丙川竹子(以下「訴外竹子」という。)は、訴外梅夫の妻であったが、同訴外人と離婚し、その時、本件建物の賃借人の地位を同訴外人から承継した。

(二) その後、本件建物の所有権は、訴外松永よね、同内藤達雄、同高橋薫を経由して、原告らに移転され、昭和三七年一月一二日、原告らは、訴外竹子に対する賃貸人の地位を承継した。

(三) 訴外竹子は、昭和五三年九月に死亡し、その相続人である訴外戊田春子、同丁田夏子(以下「訴外夏子」という。)、同丙川秋夫(以下「訴外秋夫」という)(以上三名を以下「本件相続人ら」という。)が、訴外竹子の本件建物に対する賃借権を相続した(原告らと、本件相続人らとの間の賃貸借契約を以下「本件賃貸契約という。)。

(四) 被告は、昭和二一年頃、訴外竹子と内縁関係に入り、昭和二三年二月頃から本件建物に同居していたのであるから、訴外竹子及び本件相続人らの本件建物に対する賃借権を援用することができ、したがって本件建物を正当に占有する権限を有することになる。

2  権利の濫用

原告らの被告に対する本件明渡請求は以下の理由により権利の濫用である。

(一) 被告は、前述したとおり昭和二三年二月頃から内縁関係にあった訴外竹子とともに本件建物に同居していたのであるから、同女の死亡により被告が本件建物の賃借権を相続により承継することができないとの一事をもって、本件建物を明渡さなければならなくなるのは、それまで長期間右建物に居住してきた被告の権利を著しく害する。これに対して賃貸人たる原告らの方は、本件建物に居住していた共同体の一員である同女が死亡したとしても、そのことにより本件建物の利用状況に変化があるとはいえないのであるから、被告が同女死亡後本件建物に引続き居住したとしても、特に社会生活上、原告らの権利を不当に侵害することにはならない。

(二) 原告らは、本件建物のほか、自己所有の住居を有し、生活にゆとりがあるが、被告は、大正六年生まれの老齢であるうえ、日雇の職人で、収入のうち、生活費に充てられるのは、月額二〇万円程度しかなく、生活に困窮している状態にあり、原告らと被告の経済的格差が大きい。

六  抗弁に対する答弁

1(一)  抗弁1(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は認める。

(三) 同(三)の事実は認める。

(四) 同(四)の事実は否認し、その主張は争う。

2(一)  抗弁2(一)の事実のうち、被告が訴外竹子と本件建物に同居していたこと、被告が本件建物の賃借権を相続により承継できないことは認めるが、その余の事実は否認し、その主張は争う。

(二) 同(二)の事実のうち、原告らが本件建物のほか、自己所有の住居を有していること及び被告が大正六年生まれであることは認めるが、その余の事実は否認する。

被告は、日雇制の勤務により日給として一万二〇〇〇円から一万三〇〇〇円、月額に換算して三〇万円から三二万五〇〇〇円の収入を得ているから、これは一人暮らしの被告としては、必ずしも少なくない収入というべきであり、他方、原告らは、本件建物以外に不動産を有しているとはいえ、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)は、銀行に対し九三〇〇万円の借金を有しているのであるから、原告らと被告間には格別の経済的格差があるとはいえない。

(三) さらに、右のほか、後記七2(二)記載の原告ら主張の各事実も併せ考慮すれば、原告らの本件建物の明渡請求が権利濫用といえないことは明らかである。

七  再抗弁

1  合意解除

(一) 原告らは、昭和六一年五月二六日、渋谷簡易裁判所昭和五九年(ハ)第二九七号建物明渡請求事件における第三五回口頭弁論期日において、訴訟上の和解をし、相続人ら三名との間において、本件賃貸借契約を合意解除した。

(二) 右合意解除は、以下の理由により、被告に対し、対抗できるものである。

(1) 被告は、賃借権の援用者にすぎず、賃貸借契約を合意解除する場合の転借人の地位とは異なる。すなわち、賃貸借契約の合意解除が転借人に対抗できないとされる根拠は、適法な転借人の地位は、賃借人である転貸人の法律行為(転借権の設定)とこれに対する賃貸人の意思の介入(承諾)とにより形成されたものといいうるから、この地位の形成に協力した賃貸人及び賃借人は転借人がその地位を保持しうるようにする信義則上の義務を負うところにあるところ、賃借権の援用者は、賃貸人及び賃借人とそのような関係にはないからである。

(2) また、仮に、一般的に合意解除が賃借権濫用権者に対抗できないとの理論が成り立ちうるとしても、本件のように、訴訟上ある程度の審理がなされた後、金銭給付(立退料の支払い)を条件に訴訟上の和解で合意解除がなされた場合は、賃借権の援用者に対して対抗できると解すべきである。けだし、このような場合には、明渡を承諾させるためにふさわしい反対給付がなされたものとして、右訴訟における原告らの請求に正当事由が存した蓋然性が極めて高いのであるから、右のような場合まで、必ず、訴訟上の和解をせずに判決を得なければ被告に対抗できないとするのは、不当であるし、また、訴訟外の合意解除の場合には、転借人の地位を失わしめるという不法目的のために恣意的になされる場合もあるか、本件のように数回にわたる和解期日の後に成立した訴訟上の和解の場合には、そのようなおそれは皆無である。

2  正当事由による解約申入

(一) 原告らは、昭和五九年七月頃、相続人ら三名に対し、本件建物の賃貸借契約を解約する旨の申入れをした。

(二) 右申入には、次のような正当事由があるから、右申入から六か月を経過したことにより本件賃貸借契約は終了した。

(1) 原告太郎は、大正七年一月三日生まれであって、年齢の点から、右解約申入当時勤務していた会社には、長年勤務できる見込みはなかった状態であり(その後昭和六一年五月二六日、右会社を定年退職した。)、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)は、原告太郎の妻であり、定職はない。原告太郎には、銀行からの借入金が合計九三〇〇万円あり、利息の支払いに苦慮している状態にある。したがって、原告らは老後の生活を安定させるため本件建物の立退を得たうえ、その敷地部分を含む原告ら所有の一筆の土地(以下「本件土地」という。)上に堅固な建物を建築し、これを賃貸するなどして、右敷地を有効利用して、安定収入を得るべき差し迫った必要性がある。

一方、被告は、本件建物に居住しなければならない必然性はなく、本件相続人らも別に生活している家屋があり、本件建物に居住する予定も必要性も有していない。

(2) 本件建物は、建築後五〇年以上を経過しており、朽廃に近い状態であり、改修するとすれば、新築に等しい費用を要する。

(3) 本件建物は、京王線千歳烏山駅から徒歩三分のところに位置し、周辺地域は、路線商業地域(本件建物前には、バス停が存する。)であり、右駅から甲州街道までの商店街の整備近代化の影響を受けつつあるところであって、その敷地は、社会経済的に見ても、土地の高度利用が実現さるべき必要性が極めて大きいというべきである。

(4) また、本件土地上には、かつて、もう一棟の原告ら所有建物が隣接して建っていたが、原告らは、昭和五六年一〇月、同建物の賃借人に明渡料を支払って立退いてもらい、同建物を取壊した。しかし、同建物の敷地であったところは、道路側から見て、本件建物の奥に位置するため、本件建物が存在する間は、本件土地全体の有効利用ができない状態となっており、このことは、社会経済上の損失でもある。

(5) 本件建物の賃料は、昭和三七年一月以降、月額一五〇〇円に過ぎず、極めて低廉である。一方、原告らが、本件土地建物を維持するために要する必要経費の支出は家賃収入の約三倍以上に及んでいる。

(三) 仮に、右解約申入に正当事由の存在が認められないとしても、原告は、昭和五九年六月一五日の第二二回口頭弁論期日において、被告に対し、立退料八五〇万円(その後、昭和六二年二月二七日の口頭弁論期日において、一〇〇〇万円に増額)の支払を約することによって前記正当事由を補完した。

八  再抗弁に対する答弁

1(一)  再抗弁1(一)の事実は否認する。

(二) 同(二)の事実は否認し、その主張は争う。

2(一)  再抗弁2(一)の事実は認める。

(二)(1) 再抗弁2の本件賃貸借契約が終了したとの主張は争う。同(1)の事実のうち、被告には本件建物に居住する必要性がないとの点及び本件相続人らにも本件建物に居住する予定、必要性がないとの点を否認し、その余の事実は不知。

被告は、大正六年生まれの老齢であり、日雇職人として働いているが、収入のうち国民保険料等の支払分を減ずると生活費としては手元に月二〇万円程度しか残らず、余裕のない生活を送っており、本件建物を立退くと、生活に困窮する。また、被告は、現在、本件建物で一人暮らしをしているが、近くに被告の娘が住んでいて、被告の身の回りの世話を見てもらっており、また、被告は、本件建物に長年居住しているため、近隣の人とのつき合いも長く、近隣の人が被告の面倒を見てくれる情況にあるが、本件建物を立退くと、このような環境も失うことになる。さらに、被告は、本件建物で電気工事の請負の仕事をすることを考えており、訴外夏子または訴外秋夫と同居する予定もある。

(2) 同(2)の事実のうち、本件建物が朽廃したとの点は否認する。本件建物は、居住に充分耐え得る状態にある。

(3) 同(3)の事実は否認する。本件建物の存する地域には、四階建てまでの高層規制がある。

(4) 同(4)の事実のうち、もう一棟の建物についての賃借人の明渡については不知、その余の事実は認める。

(5) 同(5)の事実のうち賃料額については認め、その余の事実は不知。

被告が賃料を一五〇〇円しか払っていないのは、原告らが賃貸人になった当初から被告からの賃料受領を拒絶しているため、被告がやむなく供託しているだけの状態が継続しているからである。

(三) 同(三)の事実のうち、原告ら主張のとおりの立退料支払の申入があったことは認めるが、立退料として一〇〇〇万円が相当である旨の主張は争う。右金額は低額に過ぎ不相当である。

(四) なお、本件建物は、被告が入居した当時は、アバラ屋根程度であったが、その後、被告の負担で、賃貸人の承諾を得て、増改築をし、また、本来、賃貸人が負担すべき屋根の修理、畳替え等もしてきたのであり、以上の事情も考慮すれば、原告の解約申入に正当事由がないことは明らかである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因一の1及び2(所有、占有)の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、抗弁1(賃借権の援用)の当否について判断する。

1  抗弁1の(一)ないし(三)の事実(訴外竹子の賃借権取得、本件相続人らの右賃借権の相続等)は、当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、(一)訴外竹子は昭和九年頃から本件建物を賃借していたものであること、(二)被告は、昭和二三年頃から訴外竹子と内縁関係となり、本件建物に同居するようにったこと、(三)当時、本件建物には、訴外竹子の他、同人の前夫訴外梅夫との間の子である訴外夏子及び訴外春子並びに同春子の子である訴外秋夫も一緒に住んでいたが、被告が本件建物に居住するようになって以降は、同人らの家計は被告の収入で賄われ、被告は訴外竹子らと生計・居住を同一にする家族共同体の一員となっていたこと、(四)その後、本件相続人らは結婚するなどして本件建物を出て行ったが、被告は訴外竹子が昭和五三年九月に死亡するまでの間、同人の面倒をみてきたものであり、同人死亡後も引き続き本件建物に居住しており、これに対して本件相続人らは何らの異議を述べることがなかったこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  右認定の事実関係によれば、被告は、訴外竹子の家族共同体の一員であった者として、訴外竹子死亡後も賃貸人である原告らに対し、本件相続人らが承諾した訴外竹子の本件建物の賃借権を援用して本件建物に居住する権利を対抗することができるものというべきである。

三  進んで、再抗弁について検討する。

1  再抗弁1(合意解除)について

(一)  再抗弁1の(一)(原告らと本件相続人らとの間の合意解除)の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  ところで、建物賃借人の死亡後、その内縁の夫が建物の居住につき賃借人の相続人の賃借権を援用して賃貸人に対抗することができる場合には、賃貸人と右相続人との間でなされた賃貸借契約の合意解除が常に賃借権援用者に対抗し得るとすると、賃借権援用者の立場は甚だ不安定なものとなり、合意解除の濫用を招くなど、ひいては賃借権の援用を認めた趣旨をも没却する虞れが存するというべきであるから、賃貸人と賃借権の相続人との間の合意解除は、賃借権援用者に不信な行為があるなどして賃貸人と賃借人との間で賃貸借契約を合意解除することが信義誠実の原則に反しないような特段の事由がある場合のほか、賃借権の援用者に対抗できないものと解すべきである。

(三)  この点について、原告らは、本件の場合、原告らと本件相続人らとの間でなされた合意解除は、ある程度審理の進んだ段階での訴訟上の和解においてなされたのであることを理由に、これを援用者に対抗し得る旨主張するが、訴訟上の和解といえども、原則として、和解の当事者である原告らと本件相続人ら間の利害の調整によって成立するものであるから、これに和解当事者でない、賃借権援用者である被告の利害や事情が考慮されることは期待できず、このことは訴訟の審理段階によって異ならないから、右事情の存在は、前記特段の事情には該らないというべきである。

(四)  そして、その他に被告に不信な行為があり、前記特段の事由があることを認めるべき証拠はないから、原告らは前記合意解約の効果を被告に対抗し得ないものというべく、再抗弁1は理由がない。

2  再抗弁2(解約申入)について

(一)  再抗弁2(一)の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  そこで、右解約申入の正当事由の有無について判断する。

なお、本件においては、本件建物に現実に居住しているのは、本来の賃借人である本件相続人らではなく、右賃借権を援用することができる被告であるから、右正当事由の有無も主として原告らと被告側双方の事情を総合して判断するのが相当というべきである。

(1) 《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が認められる。

(ア) 原告太郎は、昭和五九年七月頃(以下「本件解約申入当時」という。)、共同出資により設立した防災会社に役員として勤務していたが、年齢(当時六六歳)の点から将来に亙り長期間勤務できる見込みはなく(ちなみに、原告は、その後昭和六一年三月一五日に右会社を定年退職した。)原告花子は原告太郎の妻であり定職を有していないため、原告らは老後の生活に備えて、本件建物を取壊して本件土地上にマンションを建築して安定した家賃収入を得たいとの希望を有していた。

本件建物の家賃収入は、原告らが昭和三七年に本件建物を取得して以来現在に至るまで月額一五〇〇円に据え置かれており(このことは当事者間に争いがない。)、原告らが本件土地建物に対して、負担する公租公課及び保険料は昭和五九年度で、年間合計二万七二二五円であった。

ところで、原告太郎は、本件解約申入当時をはさんで昭和五七年一〇月頃には前記会社に出資した際の借金が約一億円あり、昭和六〇年四月頃には右出資の際の借入金残額三〇〇〇万円と銀行からの借入金六三〇〇万円(但し、うち、二〇〇〇万円は同原告が理事長をしている社会福祉法人への貸金、うち、一三〇〇万円は本件訴訟のための費用)を有していたが、他方、本件土地建物以外に、世田谷区船橋に地積一一〇四・一三平方メートルと五五二・〇六平方メートルの宅地及び一階床面積一一一・二三平方メートルの二階建て家屋(自宅として使用)を所有し、武蔵野市内には、いずれも地積二七四・七七平方メートルの宅地二筆(但し、うち一筆には極度額五〇〇〇万円の根抵当が設定されている。)を所有しており、原告花子も同じく武蔵野市内に一階床面積六一・九一平方メートルの二階建て家屋(ここに原告らの娘を住まわせている。)を所有していた。また、原告太郎の昭和五六年度の年収は一二〇〇万円であり、昭和五七年度から同五九年度までの間の年収(前記会社役員としての報酬と株売買による収入)は、所得税確定申告額で、約五〇〇ないし六〇〇万円であった。

(イ) 一方、被告は、本件解約申入当時、ネオン、看板及び電気関係を扱う会社にアルバイトとして勤務しており、その収入は、本件解約申入当時をはさんで昭和五七年五月当時には月額五ないし八万円(このほかに、厚生年金保険の受給が年額九〇万円あった。)、昭和六二年一〇月当時は月額二〇万円前後であったが、その年齢(当時六七歳)からして、右アルバイトを長期間続けられる見込みがなく、将来は、本件建物で、何らかの商売をして生計を立てる希望を有していた。

また、本件建物から徒歩七分程度のところに、被告のいとこで訴外竹子の娘である訴外夏子が住んでおり、同訴外人は、昭和五八年まで、本件建物で、プレス加工の内職をしており、右内職をやめたあとは、本件建物に立ち寄ることは少なくなったが、被告が足に負傷したときには本件建物に通い、被告の身の回りの世話をしたり、また、被告の代わりに区役所に行くなどの用事を手伝うことなどがあった(なお、被告は、近隣の人との突き合いが長く、面倒をみてもらっている旨主張するが、本件全証拠によっても被告が近隣の人と一般通常のつき合い以上の関係を有していることを認めるに足りる証拠はない。また、訴外夏子ないし訴外秋夫と同居する予定があるとの主張もこれを認めるに足りる証拠はない。)。

なお、本件相続人らは、本件解約申入当時の後である昭和六一年五月二六日原告らとの間で、原告らから立退料として二五〇万円の支払を受けることで本件建物の賃貸借契約を合意解除している(右合意解除のなされたことは当事者間に争いがない。)。

(ウ) 本件建物は、建築後五〇年以上を経過し、昭和五九年三月の時点では、朽廃しているとはいえないが、建物としての存続期間は向う三、四年しか見込まれない程度に老朽化していた。

本件建物の修理は、被告が自費で行っており、原告らに対しこの費用を請求することはなかった。

(エ) 本件建物の存在する地域は、京王線千歳烏山駅から徒歩三分、旧甲州街道から新バイパスに向かう商店街で、都市計画法上近隣商業地域に指定されていたが、被告は本件建物を住居としてのみ使用していた。また、原告ら所有の本件土地上には、かつて、本件建物の西隣に、原告ら所有の建物が本件建物と隣接して存在していたが、原告らは昭和五六年一〇月、同建物の賃借人に四〇〇万円の立退料を支払って明渡を得たうえ同建物を取壊したため、本件解約申入当時には、同建物跡地は空地となっていた。しかし、右空地と道路との間に本件建物が存するため、原告らは右空地を効率的に利用できないでいた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 右認定事実を前提として正当事由の存否を検討するに、本件建物が昭和五九年三月の時点で、相当程度老朽化しており、早晩改築が必要となることは、正当事由の一事情として認めることができるというべきであるが、賃料が長年に亙って低額に据え置かれていた事実は、賃借人側が賃料増額請求を拒否しあるいはその支払を遅滞したという事実がない以上、賃料増額請求の問題であって、正当事由の一事情とはなり得ないものというべきであり、また、原告らの前記資産状況等からすれば、原告らの本件土地利用の必要性は、原告らの主張するように切迫したものと認めることができず、これに前記認定の被告側の事情等も併せ考慮すると、原告らの解約申入には正当事由の存在を認めることはできないというべきである。

(3) したがって、原告らの主位的請求は理由がないことに帰する。

四  そこで次に、予備的請求について判断することとし、原告らからの立退料一〇〇〇万円の支払申出をも併せ考慮して正当事由の具備の成否について検討する。

1  鑑定人甲田五郎の鑑定結果によれば、昭和五九年三月二九日(本件解約申入当時の約三か月前)の時点における本件建物の賃借人に対する立退料の相当額は一二〇〇万円であることが認められる。

2  この点、原告らは、右鑑定人が右鑑定時から約一か月後に日本鑑定協会から懲戒処分を受けたことを理由として右鑑定結果は信用性がない旨主張し、《証拠省略》によれば、確かに、右鑑定人は、本件とは別の鑑定において調査が不充分であったこと等を理由に昭和五九年四月二七日付で日本鑑定協会から戒告処分を受けた事実を認めることができる。しかし、鑑定人が他の鑑定に関して懲戒処分を受けたことがあったとしても、そのことのゆえに右鑑定人の本件鑑定結果の信用性までも殊更減殺されて採用できないものとするのは相当でなく、また、原告らが援用する《証拠省略》(原告らが私的に依頼した不動産鑑定士奥津敏夫の鑑定評価書)中の記載との比較においても、立退料算定の過程で基礎となる本件土地建物の評価額については、建物について差異はみられるものの、土地については格別大きな差異は認められないこと、本件鑑定における鑑定評価の手法には不合理な点が見いだせないことなどからしても、原告らの右主張は理由がない。

3  しかしながら、前記鑑定結果の金額は、あくまでも通常の賃借人を前提にしたものであり、本件被告のごとく他人の賃借権を援用する者に対しては、そのまま適用できないことはいうまでもなく、また、前項で説示したとおり、本件においては、建物の老朽化その他、解約申入の正当事由を基礎づける一事情となる事実も存すること、前記認定の原告らと被告双方についての諸事情、本件建物の存在場所等社会公益上の事情等諸般の事情を総合考慮すると、本件解約申入の正当事由を補強するための立退料としては一〇〇〇万円が相当というべきである。

なお、前記説示のとおり、解約申入の正当事由は主として原告らと被告側双方の事情を総合して判断すべきであるから、正当事由の補完としての金銭の支払も原告の申立のとおり、本件建物に現実に居住する被告に対してするのが相当である。

4  よって、本件解約申入は、原告らが被告に対して右一〇〇〇万円を支払うのを条件として、正当事由を具備するに至ったものと認めるのが相当であり、したがって、本件賃貸借契約は、昭和五九年七月の解約申入から六か月後である遅くとも昭和六〇年一月三一日の経過をもって終了したものというべきである。

五  抗弁2(権利の濫用)について

1  抗弁2(一)の事実のうち、被告が訴外竹子と本件建物に同居していたこと、被告が本件建物の賃借権を相続により承継できないことは当事者間に争いがなく、被告の本件建物に対する長年の居住の事情等の事実関係については、前記二2で認定したとおりであり、抗弁2(二)の原被告の経済的格差等の事実関係については、前記三2(1)の(ア)、(イ)において認定したとおりであって、その後も右事実関係に変化はみられないからこれら諸事情を総合しても、原告らの本件明渡請求が権利の濫用であると認めることはできない。

2  よって、抗弁2は理由がない。

六  以上によれば、原告らの主位的請求は理由がないからこれを失当として棄却し、予備的請求は理由があるからこれを正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 阿部則之 芦澤政治 裁判長裁判官塩崎勤は転補につき署名捺印することができない。裁判官 阿部則之)

<以下省略>

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